専念山西方寺は浄土宗の寺院で、浄恩寺・龍泉寺と共に「田辺の町に過ぎたるものは江川の三ケ寺」と言われた寺の一つです。慶長12年(1607年)に現在の場所に移され、現在に至ります。境内には本堂、山門、地蔵堂、墓地、永代供養塔、旧藩士(田辺藩城代家老)墓所があります。
開基年代は不詳ですが、慶長12年(1607年)に賢譽上人が西の谷御所谷(現在の田辺市上の山)から現在の地に移され、中興上人となられました。同14年、領主・浅野左衛門佐の命により家臣・石黒作左衛門によって本堂が建立されました。元和5年(1619年)、安藤直隆が城代となり当寺を菩提寺として現代に及んでいます。
開基年代は不詳。往古は西ノ谷村(現在田辺市元町)より、慶長12年賢誉上人により現在の地に移され、中興上人と成られる。
慶長14年当時の領主浅野左衛門の命により家臣石黒作右衛門が本堂を建立、元和5年安藤小兵衛直隆が田辺城代とんり、当山を自家の菩提寺として代々現代に及んでいます。
本堂はその後、享保14年当山第18世鏡誉上人により再建され、後の昭和48年第21世清誉上人により再々建、庫裡は昭和56年、山門は平成7年にそれぞれ清誉上人により再建されました。過去帳は文禄4年より始まっています。
名 称 | 専念山 西方寺 |
---|---|
宗 旨 | 浄土宗 |
本 山 | 知恩院(京都市) |
宗 祖 | 法然上人(源空)1133年〜1212年 |
本 尊 | 阿弥陀仏(阿弥陀如来) |
教 え | 阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、
人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、 お浄土に生まれる事を願う。 |
お 経 | お釈迦様がお説きになった「無量寿経」「観無量寿経」 「阿弥陀経」の三部経をよりどころとします。 |
本堂は享保14年(1729年)当山第18世鏡譽上人により、昭和45年(1970年)現在の本堂は二階建てで、一階が駐車場、二階が本堂となっております。本堂内は、弥陀三尊、善導大師像、法然上人像、大念珠などが祀られています。
身丈:三尺五寸
藤原時代の秀作と伝えられています。
本尊・阿弥陀仏、三十三観音、永代供養塔位牌、大念珠などが祀られています。 またお参りの方の足腰にご負担をかけないように椅子席となっております。冷暖房も完備しております。
当寺には540顆の大念珠があり、親玉には地蔵菩薩像が納められています。毎年8月24日の地蔵盆では、お参りの皆様と大念珠繰りをし、無病息災・家内安全を祈念しております。
当寺の延命地蔵尊は昭和八年に畑傳右衛門氏に寄進され、第二十世明譽上人が三重県四日市光運寺の御霊と霊石を分けてもらい開眼したのが始まりです。以来、長寿祈願・病気平癒等に大変ご利益があると大勢の方々にお参りされています。
田辺藩城代家老、安藤家の菩提寺で、初代直隆より歴代の29基の墓碑があります。(安藤直隆は紀州徳川家の附家老、安藤直次の従妹である。)
以前の地蔵堂は昭和初期に建てられたと考えられ、老朽化により、平成30年第22世暁譽上人時に多くの檀信徒様・信者様のご協力により再建されました。
現在の山門は平成7年、第21世清譽上人により再建されました。以前の山門は鐘楼堂も兼ね備え、「潮音閣」と名がついていました。
霊石は願いが成就する時は軽く、そうでない時は重く感じられると言われ「おもかる様」とも呼ばれています。
境内地に墓地は大小多数あります。当寺とご縁を結ばれる方に当寺の墓地使用管理規約に基づきお貸しし、お使いして頂きます。墓地使用契約料等はお気軽にお問い合わせ願います。(墓地使用契約料:墓地の大きさによりますが10万円〜ご用意しております。)
少子化・核家族化といった社会現象、またご子息が遠方にお住まいの等の理由により、お墓をお守りして頂くことができない方の為に、永代供養塔を建立しております。供養塔の下部にお骨を安置し、納めきれないお骨を隣接の地蔵菩薩の下部に埋葬いたします。個別に石の位牌に戒名等を彫らして頂き、さらに合祀位牌に記し本堂にお祀りさせて頂きます。
また1周忌から50回忌まで当寺にて年忌法要を勤めさせていただき、50回忌を経過したのちも安置させて頂きます。当寺永代供養塔への納骨は当寺の「永代供養塔合祀規約」により、ご縁を結ぶ方であれば、宗派を問わずお申し込み頂けます。詳細はお気軽にお問合せ願います。